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東京地方裁判所 平成4年(ワ)21215号 判決 1996年3月26日

原告

鈴木節子

鈴木規雄

鈴木俊宏

鈴木伸幸

右四名訴訟代理人弁護士

鈴木利廣

末吉宜子

岡崎敬

被告

右代表者法務大臣

長尾立子

右訴訟代理人弁護士

山内喜明

右指定代理人

松村玲子

外七名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告鈴木節子(以下「原告節子」という。)に対し、金一六五〇万円、原告鈴木伸幸(以下「原告伸幸」という。)、原告鈴木規雄(以下「原告規雄」という。)、原告鈴木俊宏(以下「原告俊宏」という。)に対し、それぞれ金五八六万三三三三円及びこれらに対する昭和六二年一二月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、訴外鈴木貞雄(昭和五年二月一六日生。以下「貞雄」という。)が被告の開設する東京大学医学部附属病院に入院中に気胸(外気が肺を通して胸腔内に移行する状態)、細菌性肺炎などを併発して、死亡したことについて、原告らが、被告に対し、診療契約上の債務不履行又は不法行為を理由として次の損害及びこれに対する貞雄が死亡した日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを請求した事案である(但し、2の損害は、不法行為のみを原因とするものである。)。

1  貞雄の慰謝料 二〇〇〇万円(原告節子が二分の一、その余の原告が六分の一の割合で相続した。)

2  原告らの固有の慰謝料 一〇〇〇万円(原告節子につき四〇〇万円、その余の原告ら三名につき各二〇〇万円)

3  原告節子が負担した葬儀費用一〇〇万円

4  弁護士費用 三〇九万円(原告節子につき一五〇万円、その余の原告ら三名につき各五三万円)

二  争いのない事実及び証拠上容易に認められる事実(後記括弧内掲記の証拠により認定した。)

1  原告節子は、貞雄の妻であり、原告伸幸、同規雄及び同俊宏は、貞雄の子である。貞雄の死亡により、その権利義務を原告節子が二分の一、その余の原告らが各六分の一の割合で相続により承継した(<書証番号略>)。

2  被告は、東京大学医学部附属病院(以下「被告病院」という。)及び東京大学医科学研究所附属病院(以下「医科研病院」という。)を各開設している。。

3  貞雄は、昭和五八年一一月、医科研病院において、非代償性(肝臓の病気において、肝臓の一部が他の一部を代償しきれなくなった状態)の肝硬変及び肺線維症(肺炎や肺結核等から肺に線維性結合組織の増殖が起こり、肺組織の硬化及び萎縮をもたらす状態)を伴う特発性(原因のはっきりしないとされるもの)の間質性肺炎(肺胞自体ではなく、肺胞間の障壁に炎症が生じるもの)にそれぞれ罹患していると診断され、右間質性肺炎の治療のため、プレドニン(副腎皮質ステロイド剤の一種)の投与を受けていた(<書証番号略>、証人遠藤康夫)。

4  貞雄は、左眼の眼球癒着を改善することを目的とする手術(全身麻酔を施行したうえ、癒着している眼球結膜と眼瞼結膜とを剥離し、口唇粘膜を移植するという手術。以下「本件眼科手術」という。)を受けることとなったが、事前検査の結果、血液中のアルブミン(肝臓でつくる蛋白質の一種)値が低下していたため、昭和六二年八月七日(以下、昭和六二年中の出来事については、月日のみを記載することとする。)に予定していた眼科への入院を延期し、アルブミン値を改善する目的で、八月一五日、同病院第一内科に入院することとなった。

5  被告病院第一内科では、貞雄に対し、本件眼科手術に備えるためアルブミン値の補正及び肺機能の検査を中心とした全身状態の管理、改善を目的とした診療を行うこととし、右診療については、指導医として、同科病棟担当医の平田啓一(以下「平田医師」という。)が一貫してこれを担当したほか、受持医として、八月一五日から九月一〇日までの期間を山岡美穂(以下「山岡医師」という。)が、同月一〇日から一一月三〇日までの期間を伊藤ゆかり(以下「伊藤医師」という。)が、一二月一日から同月一五日までの期間を真嶋浩聡(以下「真嶋医師」という。)がそれぞれ担当した(以下「担当医師」とは、平田医師と右各期間ごとの受持医を総称するものとする。)(<書証番号略>、証人平田啓一)。

6  ところが、八月二四日、貞雄の右肺に気胸及び細菌性肺炎が発症していることが判明したので、担当医師は、気胸に対して、持続脱気術(気胸腔にチューブを挿入して漏出した空気を排出し、肺を再膨張させる方法)及び胸膜癒着術(胸腔内に薬液を注入して化学的胸膜炎を誘起し、肺と胸壁との癒着を図る治療法)を施行し、また、細菌性肺炎に対して、抗生剤を投与するなどの治療を行った。しかしながら、その後、九月三〇日及び一〇月一九日に気胸が再発し、一一月中旬には、肝硬変の進行による出血傾向及び細菌性肺炎の増悪が認められ、さらに、一二月五日には、右肺最下部に気胸が発症するなどして、同月一五日、貞雄は死亡した。

7  貞雄の死因について、担当医師は、敗血症(化膿巣と菌血症[菌が血液中に侵入している状態]とを伴う重篤な全身感染症)性ショックによる循環不全と診断した(<書証番号略>、証人平田啓一)。

三  争点

1  被告の債務不履行若しくは不法行為の成否

被告がなした貞雄に対する診療行為(看護も含む。)において、被告病院の担当医師ないし看護婦には、原告らの主張する次のような過失があり、かつ、右各過失と貞雄の死亡との間に因果関係があるといえるかどうか。

(原告らの主張)

(一) 入院時の虚偽説明

入院治療に際し、医師は、患者に対し、入院治療の必要性につき十分な説明を行う義務を負っているものというべきである。しかるに、被告病院第一内科外来担当の遠藤康夫医師(以下「遠藤医師」という。)は、貞雄に対し、八月四日、被告病院第一内科への入院の必要性を説明した際、入院治療を行っても、アルブミン値の修正がうまくいくかどうかは不明であって、当時の貞雄の全身状態(肺機能及び肝機能の低下)から考えて全身麻酔による本件眼科手術が実施できる可能性は客観的に低く、かつ、遠藤医師自身もこれを認識していたにもかかわらず、あたかも入院してアルブミン値の修正を行えば、本件眼科手術が可能であるかのような虚偽の説明を行った。

(二) 入浴時の看護ミス

前記二3のとおり、貞雄は昭和五八年末から継続してプレドニンの投与を受けていたため免疫力が大きく低下し、風邪などの感染症にかかる可能性が高い状態にあり、また、全盲のため風呂場に放置されれば、風邪の罹患を避止する措置(シャワーの温度を調節したり、風呂から上がるなど)を自らとることが不可能な状態にあったのであるから、看護婦には、貞雄の入浴介助を行うにあたり、常に貞雄に付き添うなどして、風邪などをひかせないよう注意すべき義務があるというべきである。しかるに、八月二一日、被告病院の看護婦は、入浴介助の途中で貞雄一人を浴室に残して退室し、火傷を避けるために低温に設定したシャワーを貞雄に浴び続けさせたまま、約一時間にわたって風呂場に放置した。

(三) 肺炎治療における過失

前記二3のとおり、貞雄は肺線維症を伴う間質性肺炎に罹患し、肺機能が低下していたものであるところ、このような患者の場合、細菌性肺炎は重篤化しやすく、また、抗生剤による治療期間が長くなると菌交代現象を起こす恐れもあるから、その初期治療がとりわけ重要であるというべきである。しかるに、担当医師は、八月二四日に発症した細菌性肺炎の治療にあたっては、同月二一日の時点において、喀痰細菌検査(同月一七日実施)の結果、ABPC(アミノベンジルペニシリン、広範囲ペニシリン製剤の代表的なもの)耐性の黄色ブドウ球菌が検出されていたのであるから、同菌が貞雄の肺炎の起因菌であると推定し、これに感受性のあるCEZ(セファメジン、第一世代セフェム系製剤の代表的なもの)などの抗生剤を選択して投与すべきであったにもかかわらず、十分な検討をしないまま漫然と感受性のないABPCを同月二四日から同月三一日まで投与し続けた。したがって、担当医師には、肺炎の初期治療における抗生剤の選択を誤った過失がある。

仮に、右喀痰細菌検査の結果のみでは、ABPC耐性黄色ブドウ球菌が肺炎の起因菌であると断定できないとしても、その可能性が否定できない以上、ABPC以外の抗生剤を投与すべきでないという合理的理由がない限り、ABPCを選択するのは誤りというべきであるところ、右合理的理由は何もない。

(四) 気胸治療における過失

貞雄のように五七才という高齢であることに加え、前記二3のとおり、肺線維症の既往歴により肺機能が低下した患者の自然気胸の治療にあたっては、細心の注意を払い迅速にかつ再発をさせない治療をすべき注意義務があったにもかかわらず、被告病院の担当医師がなした気胸の治療には、次のような過失があった。

(1) 八月二二日に発生した気胸の治療における過失

八月二二日に実施した胸部レントゲン検査の結果を直ちに見ていれば、貞雄の右肺に気胸が発生していることが把握でき、かつ、右検査結果については、見ようと思えば、直ちに見ることができたにもかかわらず、担当医師は、これを怠り、同月二四日になって初めて右検査結果を入手して気胸の発生を知ったため、これに対する持続脱気術を開始したのは、同日となった。したがって、担当医師には、右気胸に対する持続脱気術の開始を二日間遅らせた過失がある。

また、右気胸に対する治療経過は、八月二四日から同月二九日まで持続脱気術を行い、同月二九日にクランプテスト(脱気をやめて、肺が虚脱しないかどうかを確認するテスト)をしたが、同月三一日に気胸が再発したため、九月二日に胸膜癒着術を行ったというものであるが、このように漫然と何日間も持続脱気術のみを続けるのは相当ではなく、臓側胸膜と壁側胸膜が接していない状態でも、速やかに胸膜癒着術を実施しなければならなかったというべきである。したがって、右気胸の治療にあたり、担当医師には、速やかに胸膜癒着術を実施すべき義務を怠った過失がある。

(2) 九月三〇日に再発した気胸の治療における過失

担当医師は、右再発した気胸に対しても、速やかに持続脱気術や胸膜癒着術を実施すべきであったのに、これらをいずれも実施せず、しかも一〇月五日に実施した胸部レントゲン検査の結果には気胸が残っていたにもかかわらず、その後においても何らフォローをしなかった。したがって、担当医師には、貞雄の気胸について十分監視し、九月三〇日または一〇月五日の時点で、持続脱気術や胸膜癒着術を実施すべき義務を怠った過失がある。

(3) 一〇月一九日に再発した気胸の治療における過失

右再発した気胸に対しては、速やかに胸腔鏡によるブレブ(気腫性嚢胞)破壊術や外科的療法を検討すべきであったのにもかかわらず、これに対する治療経過は、一〇月一九日、持続脱気術を開始し、同月二七日、一一月四日にそれぞれ胸膜癒着術を実施したが、その後も空気漏れがあったため、最終的に一一月二四日まで持続脱気術を継続したというものにすぎなかった。したがって、担当医師には、右気胸の治療にあたり漫然と胸膜癒着術と持続脱気術のみに終始して、胸腔鏡によるブレブ破壊術や外科的療法を検討すべき義務を怠った過失がある。

(五) 呼吸管理ミス

(1) 一二月一一日夕方の呼吸管理ミス

一二月一一日午後五時三〇分ないし五〇分ころ、貞雄の人工呼吸器附属の加湿器と患者側のチューブとの接続部が外れ、人工呼吸器内の空気圧が著しく低下したことを知らせる警報音が鳴った。しかるに、看護婦が長時間これに気付かなかったため、貞雄は呼吸不全状態に陥り、意識不明の重体となった。当時、貞雄の両腕はベッドに抑制されており、貞雄自身が接続部を外すことは不可能であったので、右接続部の外れは、看護婦による同部分の接続が適切でなかったことなどの過失によるものである。

仮に、抑制帯が外れていたことにより貞雄が自ら接続部を外したものであったとしても、人工呼吸器を使用しなければ生命に危険が生じかねない状態にあった貞雄に対して、抑制帯を外すこと自体きわめて不適切な措置であり、看護婦が抑制帯を外したのであれば、貞雄が接続部を外すことがないよう、常に誰かが病室で人工呼吸器の状態を監視するようにするなどの注意を払うべきであった。しかも、当日、看護婦は、原告節子から、同人が被告病院に到着するまで付添いの家政婦に残るよう告げてもらいたいという電話での申入れを受けながら、これを無視して、貞雄を一人病室に放置し、右接続部の外れという事態を生じさせたものである。したがって、右接続部の外れについて、看護婦の過失は免れない。

(2) 一二月一二日未明の呼吸管理ミス

看護婦が貞雄の体交を行う場合には、人工呼吸器のチューブが抜けることのないよう十分注意し、また、チューブが抜けた場合には直ちに適切な措置を取る義務があるというべきである。しかるに、一二月一二日午前零時ころ、看護婦が貞雄の体交を行った際、貞雄の鼻腔に挿入されていた人工呼吸器のチューブが抜け、しかも、この抜管状態が同日午前三時ころまで約三時間にわたって継続したことにより、貞雄は重篤な呼吸不全に陥り、また、意識状態が更に悪化した。したがって、右体交を行った看護婦には、人工呼吸器のチューブの抜管及び右抜管状態の継続について過失がある。

また、貞雄の気道の状態は、一二月一一日午後一一時に吸引を行った後、同月一二日午前一時の吸引において血性痰が多かったのであるから、看護婦には、貞雄の気道内に血性痰による血塊が形成される危険を予見し、速やかに十分な吸引を行うなどして、貞雄の気道が閉塞する事態の発生を回避すべき義務があるというべきである。しかるに、看護婦は、同日午前一時に吸引を行った後、漫然と同三時に至るまで吸引等の処置を行うことなく放置し、同時刻ころ、重篤な呼吸状態の悪化を招来し、その結果、貞雄の意識状態は著しく悪化した。したがって、看護婦には、速やかに十分な吸引を行わなかった過失がある。

(六) 貞雄の死亡と右各過失との間の因果関係

貞雄は、①八月一五日、遠藤医師の虚偽説明を受けて被告病院第一内科に入院し、②間質性肺炎の既往歴があり、その治療のため長期間プレドニン投与を受けていたのであるから風邪をひかないよう十分注意しなければならないのに同月二一日の入浴の際、看護婦によって風呂場に放置されたことが原因で低体温となって風邪をひき、③風邪の症状である咳、くしゃみを誘因として同月二二日気胸を併発し、④さらにプレドニンの投与及び風邪により免疫力がより低下したため同月二四日細菌性肺炎を合併し、⑤右気胸は九月三〇日に再発し、さらに一〇月一九日に拡大し、⑥気胸の拡大に伴い、その治療が長引いたため肺に雑菌が貯留し、⑦一一月九日重篤な肺炎を合併し、⑧気胸の広がりによる肺機能の低下と相まって呼吸不全を起こし、⑨また敗血症へと移行し、⑩一二月一一日から同月一二日にかけての呼吸管理ミスから生じた心停止により低酸素状態をきたし、⑪敗血症ショック、呼吸不全により同月一五日死亡したものであって、前記(一)ないし(五)の各過失と貞雄の死亡との間には因果関係がある。

(被告の主張)

(一) 入院時の虚偽説明について

遠藤医師が貞雄に入院を勧めたのは、貞雄が本件眼科手術を強く望んでいたことに加え、貞雄の全身状態が手術に耐え得るかどうかについての眼科からの照会に対し的確に回答するためには、あらためて貞雄の全身状態の精密検査を行い、また、肝硬変に伴う低蛋白血症を少しでも改善するなどの必要があり、これらの措置は、いずれも入院して行うのが良いと判断したためであり、右判断については貞雄及び原告節子に十分説明している。したがって、遠藤医師が入院の必要性について虚偽の説明をした事実はない。

(二) 入浴時の看護ミスについて

八月二一日午後、看護婦が貞雄の入浴介助を行った際、貞雄を約一時間にわたって風呂場に放置し、その間シャワーを浴び続けさせた事実はない。看護婦が、貞雄の入浴介助の途中で他の入院患者の看護を思い出し、一時退室したことはあるが、日中五、六名の看護婦によって常に四〇名近い入院患者の看護をするという被告病院第一内科での看護体制の下では、一人の看護婦が一人の入院患者に長時間継続してかかりきりになるのは現実問題として不可能なことであり、また、看護婦は、中座することについて貞雄の承諾を得た上、石鹸やタオルを貞雄の手が届く位置に置き、シャワーの温度を調節して、その蛇口を洗面器の中に入れ、かつナースコールの位置を教えて風呂場から離れているのであるから、入浴を介助する看護婦の行動としては何ら落ち度はない。

(三) 肺炎治療における過失について

担当医師は、八月二四日に発症した細菌性肺炎に対する抗生剤としては、ペニシリン系またはセフェム系が第一選択であるが、セフェム系を選択して、これに対する耐性菌が発生した場合には、その後の抗生剤の選択の幅が狭まること、他方、貞雄は特発性の間質性肺炎に罹患し、かつ、気胸も併発しており、細菌性肺炎の治療には時間がかかる可能性が考えられたこと、同月一七日に実施した喀痰検査の結果によれば、ABPC耐性ブドウ球菌や連鎖球菌が検出されているが、これらの菌は鼻腔、口腔、気道等に常在する菌であるため、これらが右肺炎の起因菌であるかは即断できないことなどを総合判断したうえで、ABPCを投与すべきであると判断したものであり、担当医師に過失はない。そして、右判断が正しかったことは、ABPC投与の結果、貞雄が、ほぼ平熱を保っていることからも明らかである。

(四) 気胸治療における過失について

気胸に対する治療方法としては、安静、穿刺脱気術、胸腔ドレーンによる持続脱気術、胸膜癒着術、外科手術等があり、通常は、非侵襲的治療法である安静から開始し、虚脱度(胸部レントゲン検査上、肺全体の面積に対し、気胸のため虚脱した部分の割合をいい、気胸がない状態を〇度、三〇パーセント虚脱した状態を一度、七〇パーセント虚脱した状態を二度、それ以上虚脱している状態を三度という)が二度以上の場合に持続脱気術ないし胸膜癒着術を施し、そしてそれらがいずれも無効な場合に外科手術へ移行するのが一般的であり、胸腔鏡によるブレブ破壊術は、いまだ広く普及した治療法とはいえないうえ、外科手術とともに持続脱気術あるいは胸膜癒着術がいずれも無効な場合の治療法である。貞雄の場合には、次に述べるとおり持続脱気術ないし胸膜癒着術が有効であったばかりでなく、重篤な肝障害及び肺障害に罹患していたのであるから、同人に対し、全身麻酔を必要とする胸腔鏡によるブレブ破壊術あるいは外科手術は採りえない。

(1) 八月二二日に発生した気胸の治療における過失について

右気胸が発生したと推定される八月二二日前後には、貞雄は気胸発生の自覚症状である胸痛を訴えた事実がなく、右気胸は、貞雄が細菌性の肺炎に罹患することを恐れた担当医師が同日撮影した胸部レントゲン写真を同月二四日に見て初めて発見したのであり(当時、被告病院においては、通常、土曜日[二二日]に実施したレントゲン撮影他の諸検査の結果は、月曜日[二四日]に判明する。)、担当医師は、右発見後直ちに持続脱気術を実施したのであるから、脱気治療が遅れたということはない。なお、原告らは、八月三一日に気胸の再発があったと主張するが、右は、同月二四日から実施していた持続脱気術を終了するかどうかを判断するために行ったクランプテスト中に肺の虚脱が認められたものであって、気胸の再発ではない。

(2) 九月三〇日に再発した気胸の治療における過失について

九月三〇日に胸部レントゲン検査の結果、極く軽度(虚脱度一度)の右側気胸の再発が認められたが、安静を保たせることによって治癒し、一〇月五日に実施した胸部レントゲン検査の結果によれば、右気胸は改善されていたものである。

(3) 一〇月一九日に再発した気胸の治療における過失について

右気胸に対しては、同日から実施した持続脱気術及び一〇月二七日、一一月四日に各実施した胸膜癒着術によって、有効な治療効果をあげていたものであり、本件眼科手術でさえ断念せざるを得なかった貞雄に対しては、全身麻酔を必要とするブレブ破壊術あるいは外科手術を採り得るはずはない。

(五) 呼吸管理ミスについて

(1) 一二月一一日夕方の呼吸管理ミスについて

一二月一一日午後五時五〇分ころ、人工呼吸器付属の加湿器と貞雄側のチューブの接続部が外れたという事実はあるが、同時刻ころ、人工呼吸器の警報音に気づいた看護婦が病室にかけつけて、これを発見し、直ちにアンビューバックによる補助呼吸を施し、その後午後六時三五分に再び人工呼吸器に接続しており、看護婦が病室にかけつけた直後は、貞雄の顔面にチアノーゼが著明であったが、午後六時一五分ころには右チアノーゼも消失し、この間意識状態の変化もなかった。右接続部が外れた原因は明らかではないが、右は日常着けたり、外したりする部分ではない上、接続部が緩み、そこから空気が漏れたならば、その瞬間から警報音が鳴り出すので、右接続部が外れた原因が看護婦による同部分の接続が適切でなかったためであるとすることはできない。また、看護婦は、右のとおり警報音が鳴り始めてから短時間のうちに病室にかけつけて処置を施しており、その結果、貞雄の呼吸機能の低下は極く一時的なものに止まっており、意識状態に変化もなかったのであるから、看護婦に過失はない。

(2) 一二月一二日未明の呼吸管理ミスについて

看護婦が貞雄の体交を行った際、経鼻気管内挿管のチューブを固定していたテープが剥がれ、右チューブが約五センチメートル程経鼻気管内挿管から引っ張られたことはあるが、抜管したわけではない。

なお、看護婦が直ちに右チューブを押し戻したところ、人工呼吸器の警報音が鳴り出し、かけつけた当直医が気管内吸引及び気管洗浄を行ったが、下顎呼吸が出現し、心拍数も低下したため、救急部の医師の応援を依頼し、いったん経鼻挿管してあったチューブを抜管し(右チューブは、凝塊血によってほぼ閉塞状態となっていた)、まず経口挿管し、次いで経鼻挿管に戻すとともに、強心剤を投与するなどした結果、呼吸及び循環動態は回復したものの、痛覚反応が消失するなど意識状態が著明に悪化したという経過はある。しかしながら、貞雄の重篤な呼吸不全は、難治性の肺炎の進行並びに肝機能の低下及び播種性血管内凝固症候群(感染症や悪性腫瘍等が原因となって全身の微小血管内に微小血栓が多発する病態)による気管内出血に基づくものと考えられ、また、貞雄の意識状態が一二月一二日午前三時以降急速に低下したのは、気管内出血が続き、その血塊によって気道が閉塞されて一過性の低酸素血症に陥ったことによるものである。

(六) 貞雄の死亡と過失との間の因果関係について

貞雄の死因につき、担当医師は、死亡までの病状の経過から敗血症性ショックによる循環不全と判断したものであるが、右判断は病理解剖の結果に基づくものではなく、敗血症の原因すら詳らかではないこと、貞雄は入院時既に各々単独ででも死因となる非代償性の肝硬変及び特発性の間質性肺炎に罹患していたこと、八月二二日に起こした気胸及び同日から二四日までの間に起こした細菌性の肺炎の各原因は明らかでないこと、そして、九月中旬ころには眼科や麻酔科の医師らと本件眼科手術を実施するかどうかを協議するまでに細菌性肺炎は沈静化し、気胸も安定し、更に一〇月上旬には退院の具体的な日取りまで相談するに至っていることなどからすると、仮に、被告病院の貞雄に対する診療において何らかの過失があったとしても、右過失と貞雄の死亡との間に因果関係はない。

2  期待権侵害による債務不履行の成否

仮に、被告の各過失と貞雄の死亡との間に因果関係が認められないとしても、いわゆる期待権の侵害に基づく慰謝料請求が認められるかどうかる

(原告らの主張)

仮に、被告の前記1(一)ないし(五)の各過失行為と貞雄の死亡との間に因果関係が認められないとしても、適切な医療行為を期待した患者の気持ちを医療機関が裏切り、患者に精神的苦痛を与えた場合には、債務不履行に基づく損害賠償責任を負うと解すべきところ、本件において、貞雄は、本件眼科手術が受けられるようになるという強い希望を抱いて被告病院に入院したにもかかわらず、かえって、看護婦の入浴介助ミスが原因で風邪をひき、気胸、肺炎を起こしたうえ、不適切な気胸治療、肺炎治療を受けるに至り、身体に大きな苦痛を受けたばかりでなく、当初の希望と全く異なる扱いを受けたことによって、精神的にも非常に重大な痛手を受けた。さらに、貞雄が担当医師に対し、右のような希望と現実の治療との食い違いについての説明を求めても、担当医師は、貞雄及び原告らに対し、全く説明を行わず、かえって、説明を明確に拒絶して、貞雄の精神的苦痛を増大させた。以上によれば、被告には、貞雄の期待権侵害に基づく損害賠償責任が認められるというべきである。

(被告の主張)

被告の貞雄に対する診療行為には、前記1(被告の主張)(一)ないし(五)のとおり、何ら不適切な部分はなく、十分な医療行為及びこれに関する説明を行っている。

3  消滅時効の成否

被告の不法行為を原因とする原告ら固有の慰謝料請求権は、時効により消滅したかどうか。

(被告の主張)

仮に、被告の不法行為を原因とする原告ら固有の慰謝料請求権が認められるとしても、原告らは、遅くとも本件に係る証拠保全が行われた平成元年一月一八日には、本訴において主張する事実関係及び被告病院の担当医師らの行為の違法性を認識していたものであるから、右同日から三年を経過した同四年一月一八日の経過をもって、原告らの右損害賠償請求権は時効によって消滅しており、被告は右時効を援用する。

(原告らの主張)

民法七二四条前段にいう時効の起算点につき「損害及ヒ加害者」を知るとは、損害自体の認識に加え、加害者の行為の違法、有責性及び加害行為と損害との間の相当因果関係の認識が必要と解すべきであり、また、「知リタル」の意味についても、一応合理的と思われる程度の起訴可能性に裏付けられた認識であることが必要であり、具体的には、合理的な方法で挙証し得るだけの具体的な資料に基づく認識であることを要するものと解すべきである。しかるに、原告らが本件証拠保全の申立をした段階では、原告らには、医療の専門的知識がないばかりか、診療録、看護記録等の資料が一切なく、加害者に対する賠償請求が可能であるかどうか全く判断ができなかったから、右のような認識は持ちえない。したがって、本件では、原告らが、証拠保全により入手したカルテ等の資料を専門家の意見等を聞きながら詳しく検討し、平田医師らの説明を受け、これらを踏まえて、被告に責任がある旨の被告に対する意見書を作成した時点の直前をもって被告に対する損害賠償請求が可能な程度に認識を持ったものというべきであり、消滅時効の起算点は、右意見書を作成提出した平成二年九月一九日の直前ころというべきである。したがって、被告主張の消滅時効は完成していない。

第三  当裁判所の判断

一  前記第二「事案の概要」欄二の認定事実に加え、<書証番号略>、証人遠藤康夫、同加藤裕子、同朴佐江子及び同平田啓一の各証言、原告節子の本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、貞雄が被告病院に通入院後、死亡に至るまでの経過として、次の事実を認めることができる。

1  貞雄は、昭和五一年ころ、プールの消毒用塩素が原因と思われる障害を両眼に起こし、その治療のため五か所以上の病院を転々としたが、昭和五六年一月ころから、被告病院の眼科に通うようになった。

2  貞雄は、被告病院眼科において、その両眼について、スティーブンス・ジョンソン症候群(原因不明の高熱性、炎症性の皮膚、粘膜疾患)後の眼球結膜と眼瞼結膜との癒着という診断を受けており、また、昭和五八年に東京都から障害者手帳(障害名「両角膜パンヌス(両手動弁)」、身体障害者等級表による級別「一級」)の交付を受けている。なお、本件入院当時、貞雄の両眼の状態は、手で瞼を開ければ、明るさを感じることができるだけというものであった。

3  貞雄は、昭和五八年一一月一六日から同五九年二月一六日までの間、発熱、動悸等を主訴として、医科研病院に入院し、特発性の間質性肺炎及び肝機能が著しく低下した非代償性の肝硬変に罹患しているとの診断を受けた。その後、被告病院第一内科において、遠藤医師により経過観察を受けることになり、同年三月一日から同月三日までの間、動悸、息切れ、浮腫を主訴として、同科に入院し、主として間質性肺炎による息切れ、肝硬変による浮腫に対する治療を受けた。続いて、同月一九日から同年四月二二日まで同科に入院し、主として肝臓及び肺の精密検査を受けた。また、同六一年五月二一日から同年六月二一日までの間、主として虫垂切除跡の膿瘍治療を受けるために同科に入院し、さらに、同年一二月二二日から翌年一月二五日までの間、同科に入院し、発熱の原因解明と肝臓及び肺の精密検査を受けた。右の間、貞雄は、間質性肺炎の治療のためプレドニンの投与を継続して受け、また、肝硬変による低蛋白症に起因した浮腫に対して、年に五、六回程度の割合で、アルブミン製剤の投与を受けていた。

4  七月二五日、貞雄は、被告病院眼科において、本件眼科手術のための事前検査を受け、その際、貞雄に付き添っていた原告節子が第一内科の診断も希望したので、眼科の担当医師は、第一内科に対し、本件眼科手術の可否について照会することとし、同科への照会文書を貞雄らに託した。そこで、八月四日、貞雄は、原告節子と共に、右照会文書を持参して、第一内科を受診し、遠藤医師に本件眼科手術の可否を尋ねたところ、同医師は、貞雄のアルブミン値が低いので(七月四日の時点で2.0ミリグラムパーデシリットル)、本件眼科手術を直ちに実施するのは困難であるとして、第一内科に入院してアルブミンの点滴を受けることを勧めた。貞雄は、これまでにもアルブミンの点滴を受けた経験があり、入院してアルブミン値を補正すれば、本件眼科手術を受けられるものと考え、同月七日に予定していた眼科への入院を延期することとし、同月一五日、第一内科に入院した。

5  入院時の検査の結果、アルブミンの標準値は、3.5から4.5ミリグラムパーデシリットルであるのに対し、貞雄のアルブミン値は1.95ミリグラムパーデシリットル(八月一五日)と極度に低下した状態にあり、また、健常人の動脈血酸素分圧(肺でどれくらい酸素を取り入れられるかを示す呼吸機能の指標)は、八〇から一〇〇水銀柱ミリメートルと考えられているのに対し、貞雄の同圧は、45.1水銀柱ミリメートル(八月二二日)と低下した状態にあった。

担当医師は、右の検査結果から、貞雄は肝機能が極度に低下した非代償性の肝硬変による低蛋白血症の状態にあるとともに、特発性の間質性肺炎による著明な低酸素血症の状態にあると判断し、当面の治療としては、前者に対してはアルブミン製剤を、また後者に対しては引き続きプレドニンを投与することとした。

6  八月二二日午前零時ころ、貞雄からナースコールがあり、咳嗽、不眠の訴えがあった。検温の結果、三七度三分の発熱があり、貞雄は、担当医師及び看護婦に対し、体熱感があり、呼吸苦はないが咳が出て他の患者に迷惑がかかる、また、入浴時に悪寒があったことを訴えた。同医師が診察したところ、痰喀出もないし、肺に雑音も聞かれなかったので、トローチを処方した。

そして、同日午前九時三〇分、担当医師は、貞雄が深夜に咳が出ると訴えており、また、午前零時及び同六時の各検温において三七度三分の発熱があったことなどから、念のため、胸部レントゲン検査を行った。

7  八月二四日、担当医師は、同月二二日に実施した胸部レントゲン検査及び同月二四日に確認のために実施した胸部レントゲン検査から、貞雄の右肺に虚脱度二度の気胸が発生していると診断し、直ちに胸腔ドレーンによる持続脱気術を開始した。

また、右持続脱気術の効果を確認するために実施した胸部レントゲン検査の結果、右肺上葉部に陰影が認められたため、担当医師は、貞雄が細菌性肺炎に罹患していると判断し、直ちに抗生剤の一種であるABPCの投与を開始した。

8  八月二九日、担当医師は、同月二四日から実施していた持続脱気術についてクランプテストを実施したところ、同月三一日に肺の虚脱が見られたため、持続脱気術を続けるとともに、九月二日、ビブラマイシンの胸腔内投与による胸膜癒着術を実施した。これにより、気胸は改善され、同月七日に実施したクランプテストによっても肺の虚脱は認められなかったので、同月九日、胸腔ドレーンを抜去した。

9  八月三一日、貞雄の体温が三七度八分まで上昇し、九月一日に判明した喀痰細菌検査(八月二四日実施)の結果、ABPC耐性黄色ブドウ球菌及びABPC感受性連鎖球菌が検出され、右二つの細菌がいずれもCEZに対し感受性を有していたことから、右同日午後、担当医師は、投与する抗生剤をこれまでのABPCからCEZに変更した。

10  九月一〇日午後六時ころ、貞雄の体温が三七度八分まで上昇し、また、同月一一日に判明した喀痰細菌検査(同月七日実施)の結果、黄色ブドウ球菌は検出されず、グラム陰性桿菌であるエンテロバクターとクレブシェラが検出され、かつ、右二つの細菌がいずれもCEZに耐性を有し、PIPC(ピペラシリン、広範囲ペニシリン製剤の一種)及びMINO(ミノマイシン、テトラサイクリン系製剤の代表的なもの)に感受性を有していたため、右同日から、担当医師は、投与する抗生剤をこれまでのCEZからPIPC及びMINOに変更した。

11  九月一八日、担当医師は、胸部レントゲン検査の結果、同日一四日に認められた右肺の陰影が明らかに改善されており、同月二日に実施した胸膜癒着術後の経過も順調で胸痛等の訴えもないので、細菌性肺炎も沈静化し、気胸治療後の状態も安定してきたものと判断し、この全身状態で眼科の手術に耐え得るかどうかについて、眼科及び麻酔科の医師並びに呼吸器を専門とする医師の各意見を聞くこととした。なお、同月二〇日、貞雄の熱が下がっているので、担当医師は、PIPCの点滴投与を中止し、MINOの経口投与のみを続けることとした。

12  担当医師は、九月二一日に眼科の医師及び呼吸器を専門とする医師の、翌二二日には麻酔科の医師の各意見を聞いたうえ、現時点では本件眼科手術を実施しないこととし(眼科の医師も、本件眼科手術は、必ずしも成功率が高くないこともあり、全身状態のよくないときに手をつけたくないという意見であった。)、現在の微熱がおさまったところで、退院させることとした。そして、担当医師は、これを貞雄及び原告節子に説明したが、同月二三日になって、貞雄から眼の手術ができない理由が分からないので、遠藤医師にその理由を聞きたいとの訴えがあった。そこで、同月二四日、平田医師が、貞雄に対し、本件眼科手術ができない理由及び退院する理由をもう一度説明し、さらに、同月二六日には、遠藤医師及び伊藤医師が原告節子に対し、本件眼科手術を見合せる理由を説明した。

13  九月三〇日、胸痛及び息苦しさが出現し、胸部レントゲン検査の結果、極く軽度の右側気胸(虚脱度一度)の再発が認められたが、担当医師は、貞雄の右肺には、同月二日に実施した胸膜癒着術による癒着があるので、持続脱気術は不要と判断した。また、一〇月一日の胸部レントゲン検査の結果では、気胸の広がりが認められず、同月三日には胸痛も軽減した。そして、担当医師は、同月五日の胸部レントゲン検査の結果では、気胸が少し残っていたものの、貞雄の肺炎像及び気胸の状態は改善されていると判断した。そこで、同月一四日、担当医師は、原告節子に退院の日取りを相談したところ、週末は家族がいないので、退院は月曜日にして欲しいとのことであったので、同月一九日に退院させることとした(なお、<書証番号略>には、右のころ、伊藤医師に対し、何度も退院したくないと頼んだが、全く聞き入れてもらえなかったので、やむなく、退院することになったという部分があるが、当該部分については、一〇月五日の貞雄の訴えとして、<書証番号略>には「早く退院したいナ」、<書証番号略>には「もう退院だ!」と述べていたことを示す記載があることに照らし、採用できない。)。

14  ところが、一〇月一九日未明から胸痛及び息苦しさが出現し、胸部レントゲン検査の結果、右肺に虚脱度三度の気胸の再発が認められたため、直ちに、持続脱気術を開始するとともに予定していた退院は中止となった。

一〇月二七日、担当医師は、ブロンカスマベルナの胸腔内投与による胸膜癒着術を実施したが、その後も空気の漏れが完全に消失しないので、一一月四日、再び同じ薬剤を用いて胸膜癒着術を実施したところ、同月五日、同月六日と空気漏れが認められず、同月九日の胸部レントゲン検査の結果からも胸膜の癒着が成功しているものと判断した。

15  一一月九日深夜、貞雄の体温が三九度五分まで上昇し、悪寒、戦慄が著明にあらわれた。同月一〇日、喀痰検査(同月四日実施)の結果、クレブシエラ(肺炎桿菌)、メチシリン耐性コアグラーゼ陰性ブドウ球菌及び緑膿菌が検出され、前二者がMINO及びAMK(アミカシン)に感受性があり、緑膿菌がAMK及びCAZ(モダシン)に感受性を有していたため、これらの抗生剤を投与したところ、翌一一日には解熱した。

16  一一月中旬から、貞雄の肝機能が低下し、肝臓で作られる血液凝固因子の血中の量の低下(プロトロンビン時間[パーセント]が、一一月一六日[33.8]、同月一七日[23.9]となる。)が見られ、種々の出血症状(皮下出血、消化管出血、気道出血)を呈するようになった。そこで、これを補充するために、同月一七日から、新鮮凍結血漿の輸血を開始した。

17  同月二九日、胸部レントゲン検査の結果、右肺上葉部に加え、左肺のほぼ全体にわたって陰影が認められたため、担当医師は、細菌性肺炎が悪化してきていると判断し、その起因菌として、ブドウ球菌、グラム陰性菌、真菌等の可能性が疑われたので、抗生剤を変更するとともに、抗真菌剤の投与を行った。また、肺炎の急性期や間質性肺炎の急性増悪期等に有効な副腎皮質ステロイドホルモン製剤を増量した。なお、同日から、酸素マスクを使用した。

18  一二月三日、動脈血酸素分圧が三〇水銀柱ミリメートルまで低下し、呼吸困難が出現したため、酸素マスクから経鼻気管内挿管による人工呼吸器に変更した。このころから、肝不全が急速に進行して高度の黄疸が出現し、その原因としては、呼吸不全の進行による低酸素血症によって、肝硬変が悪化したものと考えられた。

また、同月五日午前の胸部レントゲン検査の結果、右肺の下部に気胸の発生が認められ、さらに、同日午後の胸部レントゲン検査の結果では、右気胸が増大していることが認められたため、トラカールによる持続脱気術を実施した。

19  同月七日ごろから血小板数の急激な減少(同月七日[3.0【×10000パー立方ミリメートル】]、同月八日[2.4]、同月九日[2.3]、同月一〇日[3.4]、同月一二日[4.3]、同月一四日[4.4])が認められるとともに、出血傾向が増悪してきたため、担当医師は、播種性血管内凝固症候群出現の可能性を危惧し、血小板の輸血及びアンチトロンビンⅢ製剤(血液中に存在し、抗血栓作用を有する蛋白分解酵素の一種[アンチトロンビンⅢ]を血液から精製して得たもので、播種性血管内凝固症候群の治療に用いられるもの)の投与を開始した。また、同月四日ごろから徐々に上昇していた血清総ビリルビン値(肝不全の程度を示す指標[ミリグラムパーデシリットル])が同月九日から同月一一日にかけて急上昇し(同月九日[14.6]、同月一〇日[18.2]、同月一一日[24.2])肝不全がより一層進行していることが窺われた。

20  一二月一一日午後五時五〇分ごろ、人工呼吸器の警報音が鳴り、これに気付いた看護婦が貞雄の病室にかけつけたところ、人工呼吸器附属の加湿器と患者側チューブとの接続部が離脱していたので、看護婦は、直ちに右離脱部分を結合させた。その際、貞雄の口唇及び爪にはチアノーゼが著明であり、下顎呼吸が認められたが、看護婦がアンビューバックによる補助呼吸をするなどした結果、午後六時一五分ごろには右チアノーゼ及び下顎呼吸は消失した。

21  一二月一二日午前三時ごろ、看護婦が貞雄の体位を変換した際、経鼻気管内挿管されていたチューブが通常二〇から二五センチメートル位挿管されていたところ、約五センチメートル程引っ張られた。看護婦が直ちに右チューブを押し戻したものの、咳が激しくなり、また、気道内圧が上昇し、人工呼吸器の警報音が鳴り始めた。看護婦は、アンビューバックによる補助呼吸と気管内吸引をくり返し施行したが、警報音が鳴りつづけるため、当直医を呼んだ。そして、当直医において、気管内吸引及び気管洗浄を実施したが、吸引することができず、気道内圧も変わらなかった。そこで、当直医は、救急部の医師に応援を依頼し、救急部の医師において、いったん経鼻挿管してあったチューブを抜管して(右チューブには凝血塊が付着し、狭窄を生じていた。)、まず経口挿管し、次いで経鼻挿管に戻すとともに、強心剤を投与するなどしたところ、呼吸及び循環動態は回復した。なお、右の間に貞雄の心拍数が低下し、心停止に至ったため、心マッサージが行われた。右の事態の後、貞雄の意識状態は、痛覚反応が消失するなど著明に悪化した。

22  一二月一四日未明より、三九度台の高熱が出現し、血圧も低下し、無尿となったため、担当医師は、貞雄が敗血症性ショックをきたしているものと判断し、ステロイド剤の大量投与並びに昇圧剤及び利尿剤の増量を行ったが、同月一五日午前九時一七分、貞雄は死亡した。

23  貞雄の死因については、原告らが、貞雄の病理解剖の申し入れを拒否したため、これを確定することはできないが、担当医師は、貞雄の死亡に至るまでの病状の経過からみて、敗血症性ショックによる循環不全と診断した。

敗血症性ショックをきたした原因としては、肺の感染巣から菌あるいは菌の毒素が血液中に侵入した可能性及び肝不全による肝臓のマイクロファージ系の細胞の機能低下によって、血液中に侵入した腸管内細菌やその菌の毒素を肝臓で処理できずに敗血症となった可能性の二つが考えられるが、そのいずれであるかは判断できない。

二  右認定事実を前提に、争点1(被告の過失及び因果関係の有無)について判断する。

1 争点1(一)(入院時の虚偽説明)について

原告らは、当時の貞雄の全身状態(肺機能及び肝機能の低下)から客観的にみて、全身麻酔による本件眼科手術が実施できる可能性は低かったというべきであるにもかかわらず、遠藤医師は、あたかも入院してアルブミン値の修正を行えば、本件眼科手術が可能であるかのような虚偽の説明を行ったと主張する。

そこで、検討するに、前記一3ないし5の認定事実及び証人遠藤康夫の証言によれば、本件入院当時、貞雄の血液中のアルブミン値は、標準値に比べて極度に低下した状態にあり、右状態のままでは、本件眼科手術により口唇粘膜を移植しても移植した部分がうまくつかない可能性が高く、また、間質性肺炎により肺機能も低下しており、貞雄が本件眼科手術に伴う全身麻酔に耐えられるかどうかという問題もあったことが認められる。

しかしながら、<書証番号略>、証人遠藤康夫の証言及び弁論の全趣旨によれば、アルブミンを点滴することにより、一時的に貞雄のアルブミン値を改善させるのはかなりの確率で可能であると考えられること(人によっては一時的な改善すら見られない場合もないではないが、貞雄の場合、本件入院以前にも補液によるアルブミン値の改善が見られており、また、八月一五日に開始された本件入院中におけるアルブミンの点滴によっても、貞雄の同値は、八月一七日[2.1]、同月一八日[2.3]、同月二〇日[2.7]、同月二四日[3.0]、同月二七日[3.0]という経過で上昇している。)、本件眼科手術は二時間程度のもので、開腹手術などに比べれば、生命に危険を及ぼす度合いが低いと考えられ、前記一11、12の認定事実のとおり、担当医師は、貞雄の気胸及び細菌性肺炎が改善された九月二一日、同二二日の時点においても、本件眼科手術の実施が可能であるかどうかにつき、眼科及び麻酔科の医師並びに呼吸器を専門とする医師の各意見を聞いて、本件眼科手術実施の可否を検討し、本件眼科手術の成功率が必ずしも高くないとの眼科医の意見等もあり全身状態のよくない右時点においてはあえて手術に踏み切らないこととしたことがそれぞれ認められ、また、<書証番号略>及び原告節子の供述によれば、本件入院当時、貞雄の体調は、これまでのうちでも最もよい状態であり、貞雄自身、本件眼科手術を受けることによって、眼が見えるようになりたいという強い希望を持っていたことが認められる。

これらの事実によれば、遠藤医師が入院を勧めた時点において、前記のような問題はあるものの、本件眼科手術の実施が客観的に不可能であったとまで断定することはできないというべきであり(しかも、現実に全身麻酔がかけられるかどうかは、あくまでも本件眼科手術の執刀医及び麻酔科医が最終的に判断するものというべきである。)、遠藤医師において、貞雄の本件眼科手術を受けたいという強い希望を実現するためには、第一内科に入院してアルブミン値の補正を行う必要があると判断し、これを貞雄に対し勧めたことが、虚偽の説明にあたるということはできない。

これに対し、原告らは、平成二年二月一四日、原告節子、同伸幸及び原告ら代理人弁護士末吉宜子、同岡崎敬が、遠藤医師を尋ねたところ、同医師は、貞雄に入院するよう勧めた際、入院治療を行っても本件眼科手術が実施できるようになるとは考えていなかったが、貞雄に本件眼科手術が実施できるようになるという希望を持たせるために虚偽の説明をしたことを認めたと主張し、甲第六号証及び原告節子の本人尋問の結果には、これに副うような記載及び供述がある。

しかしながら、前示のとおり、本件眼科手術が実施できる可能性がなかったとまではいえないうえ、右甲第六号証には「検査をして全麻「可」となる可能性はどのくらいあったか。→?」(同号証別紙二)、「検査をしてもしなくてもどっちみち全麻はダメ?――はっきり答えず」(同別紙六)、「入院して検査をしてみなければわからない。」(同別紙八)という記載もあるのであって、同号証の記載をもって、遠藤医師において、本件眼科手術が実施できる可能性がないと考えていたにもかかわらず、単に希望を持たせるため虚偽の説明をしたと認めることはできない。

そうすると、争点1(一)(入院時の虚偽説明)における原告らの主張は、これを採用することができない。

2 争点1(二)(入浴時の看護ミス)について

原告らは、看護婦が貞雄の入浴介助を行うにあたっては、風邪などをひかせないよう常に付き添っているべきであったにもかかわらず、入浴介助の途中で貞雄一人を浴室に残して退室し、低温に設定されたシャワーを浴び続けさせたまま、貞雄を約一時間にわたって風呂場に放置したと主張する。

そこで、検討するに、前記一6の認定事実に加え、<書証番号略>及び証人朴佐江子の証言、原告節子の本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、貞雄は、入浴にあたっては必ず介助を受けていたこと、八月二一日午後、看護婦(朴[旧姓吉沢]佐江子)が貞雄の入浴介助中に他の患者の処置を思い出して一時退室したため、貞雄一人が浴室に残される結果となったこと、同看護婦が帰室した際、貞雄はまだ身体を洗い終えていなかったこと、その後、同看護婦が介助して貞雄の身体や髪を洗い、湯船につからせたうえ、入浴介助を終えたこと、同看護婦が一時退室している間、貞雄からのナースコールはなかったこと、右浴室のシャワーは水と湯の栓が別にあり、これを調整して一つの湯として適温にする仕組であったこと、その後病室に戻った貞雄は、同室の他の患者らに対し、入浴の途中で退室した前記看護婦がなかなか迎えに来てくれず、シャワーの温度調節も難しく困ったと話したこと、また、貞雄は、同日の深夜、診察した担当医師に対し、入浴時に悪寒程度あったと訴えたことが認められる。

右事実によると、貞雄の入浴介助を行った前記看護婦が、その途中で一時退室したまま速やかに浴室に戻らなかったため、その間、貞雄は、シャワーの温度調節なども適切にできないまま、浴室に一人で残され、体温の低下を感じる状態にまで至ったものというべきである。

しかしながら、<書証番号略>には、貞雄が病室を出てから戻るまで約一時間程あるいは一時間以上経過していたとの記載があるものの、これらによっても、貞雄が約一時間にわたって浴室内に一人で放置されたものとまでは認めることはできないし(なお、逆に証人朴佐江子は一人にしておいたのは一五分程度であると供述するが、曖昧な部分があり、そのままには採用できない。)、証人加藤裕子の証言によると、被告病院第一内科における看護体制は、日中五、六名の看護婦によって、常に四〇名近い入院患者の看護をするというものであったことが認められるから、看護婦が入浴介助の途中で中座してもやむを得ない場合もあったと考えられる。これに対し、<書証番号略>、証人朴佐江子の証言によれば、貞雄は、ほぼ全盲状態にあるものの、一人でトイレに行ける状態であり、本件入院時にも八月一七日、同月一九日と入浴しており、本件入院以前にも入浴経験があったことが認められるから、貞雄において、病棟の浴室内の状況を全く把握していなかったとまでいうことはできないものと考えられ、自分自身で体温の低下を防ぐための行動をとることが全く不可能であったとまでいうことはできない。

これらを併せ考慮すると、前記看護婦が、貞雄の入浴介助中に同人を浴室内に一人で残したまま一時中座したうえ、貞雄自身がシャワーの温度調節も適切にできず、体温の低下を感じるまで、帰室することが遅れたことについては、全盲の患者の入浴介助を行う看護婦の行為として適切さに欠けるところがなかったということはできないというべきであるが、進んで、このことが法的責任を伴う看護上の注意義務違反にあたるとまでいうことはできないといわざるを得ないところである。

のみならず、原告らは、八月二一日から同月二二日にかけての貞雄の容態の変化に照らせば、浴室での低体温状態により風邪をひき、その咳、くしゃみのため気胸となったのは明白であると主張するが、<書証番号略>並びに証人平田啓一の証言によれば、貞雄の気胸の原因としては、高度の間質性肺炎のため肺胞壁が過進展していたところに僅かの体動で気胸が偶発的に惹起されたということも想定され、また、肺線維症のみでも説明可能であることなどが認められ、これらのことからすると、右入浴時の低体温状態によって、風邪をひき、その咳、くしゃみが原因で気胸を発症したという原告の主張をそのまま採用することもいまだできないものといわざるを得ない。

そうすると、争点1(二)(入浴時の看護ミス)における原告らの主張は、これを採用することができない。

3 争点1(三)(肺炎治療における過失)について

原告らは、八月二一日に判明した貞雄の喀痰細菌検査(同月一七日実施)の結果にはABPC耐性菌が検出されていたのであるから、同月二四日に発症した肺炎の起因菌はABPC耐性菌であると推定し、右起因菌に感受性を持つCEZを投与すべきであったのに、担当医師が、右肺炎の治療にあたり、十分な検討をしないまま漫然と感受性のないABPCを同月二四日から同月三一日まで投与し続けたのは、肺炎の初期治療における抗生剤の選択を誤ったものであると主張する。

たしかに、前記一7、9の認定事実及び<書証番号略>並びに証人平田啓一の証言によれば、担当医師は、同月二四日に発症した細菌性肺炎の治療として、貞雄に対し、同日から九月一日午前までABPCを投与し、同日午後からCEZに変更したこと、八月三一日に貞雄の体温が三七度八分まで上昇していること、同月二一日に判明した喀痰細菌検査(同月一七日実施)の結果、ABPC耐性黄色ブドウ球菌が、また、九月一日に判明した同検査(八月二四日実施)の結果、ABPC耐性黄色ブドウ球菌及びABPC感受性連鎖球菌がそれぞれ検出されたこと、細菌性肺炎の起因菌がABPC耐性黄色ブドウ球菌であった場合、ABPCは治療効果を有しないことが認められる。

しかしながら、<書証番号略>及び証人平田啓一の証言並びに弁論の全趣旨によれば、肺炎等の感染症の診断は、臨床所見、経過、検査所見を総合してなされるべきものであるところ、八月一七日には肺炎の症状はなく、胸部レントゲン検査及び血液検査においても、炎症所見(肺の陰影及び血沈や白血球の上昇、CRP[C反応性蛋白試験]の異常など)がなかったことが認められ、これらによると、同月二一日に判明した喀痰検査の結果において、ABPC耐性黄色ブドウ球菌が検出されたことのみをもって、右細菌性肺炎の起因菌が同菌であると断定すべきであったというのは相当ではない。

また、原告らは、ABPCを投与する八月二四日以前から貞雄の熱が下がっていることを根拠にABPCの投与と解熱との間に因果関係はないと主張し、乙第二号証によれば、ABPC投与以前から貞雄は平熱となっていることが認められる。

しかしながら、<書証番号略>及び証人平田啓一の証言によれば、同月二四日にABPCの投与を開始した結果、少なくとも同月三一日までの間には、発熱やその他特に細菌性肺炎の増悪を示す症状が現れなかったことが認められることに照らすと、右の限度において、ABPCによる治療効果があったものと考えることができ、右の当時、担当医師が、右細菌性肺炎に対する治療として、ABPCを選択して投与したことに問題があったとまでいうことはできない。

さらに、原告らは、仮に、前記喀痰細菌検査(八月一七日実施)の結果のみでは、肺炎の起因菌を特定できなかったとしても、ABPC以外を選択すべきではないとの合理的理由がない限り、ABPCを選択することは誤りだと主張する。

しかしながら、原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はなく、かえって、<書証番号略>及び証人平田啓一の証言によれば、細菌性肺炎に対する抗生剤としては、ペニシリン系及びセフェム系が第一選択であるが、そのどちらを選択するかという点において、両者は同等であるとされていることが認められ、また、前示のとおりABPC投与による治療効果があったと認められるところである。

以上によれば、争点1(三)(肺炎治療における過失)についての原告らの主張はいずれも採用することができない。

4 争点1(四)(気胸治療における過失)について

(一) 八月二二日に発生した気胸の治療における過失

前記一7の認定事実及び<書証番号略>並びに証人平田啓一の証言によれば、貞雄の右肺に気胸が発症したのは、八月二二日午前零時から同九時三〇分までの間と推定されること、同日撮影した胸部レントゲン写真については、その日のうちに見ようと思えば、見ることは可能であったこと、右気胸の虚脱度は、同月二二日に比べて同二四日のほうが高度となっていること、しかるに、担当医師は、土曜日に撮影したレントゲン検査の結果が月曜日に判明するという被告病院における通常の取り扱いに従って、同月二二日[土曜日]に撮影したレントゲン写真を同月二四日[月曜日]に見た結果、右気胸を発見し、直ちに持続脱気術を開始したものであることが認められ、これらによると、同月二二の時点から持続脱気術を開始したほうが、治療としてより適切であったということはできる。

しかしながら、前記一6の認定事実及び<書証番号略>並びに証人平田啓一の証言によれば、貞雄は、八月二二日の時点において、気胸となった場合の自覚症状として最も多く見ちれる胸痛を訴えていなかったこと、担当医師が、同日、胸部レントゲン検査を行ったのは、未明に発熱があったため細菌性肺炎の発症をおそれたことから、念のため撮影したものであるところ、同日の貞雄の状態(発熱、咳等)及び翌二三日にも発熱などがなかったことを前提とすると、右レントゲン写真の読影については、必ずしも緊急度が高かったとまでいうことはできないことが認められ、被告病院における通常の取り扱いに従って、レントゲン写真を二四日に見たことをもって、担当医師に過失があったということはできない。

また、原告は、右気胸の治療にあたっては、速やかに胸膜癒着術を実施すべきであったと主張するが、原告の右主張では、いつの時点で、胸膜癒着術を実施すべきであったというのか明らかでない。そして、前記一7、8の認定事実及び<書証番号略>並びに証人平田啓一の証言によれば、担当医師は、八月二四日に右気胸を発見した後、直ちに胸腔ドレーンによる持続脱気術を開始し、同月二五日から同月二八日までの間は、胸部レントゲン検査により経過観察を行い、同月二九日、肺の膨張を確認したうえ、クランプテストを実施したこと、右テストにより肺の虚脱が認められなければ、胸腔ドレーンを抜去する計画を立てていたこと、ところが、同月三一日に肺の虚脱が見られたため、持続脱気術を続けるとともに、九月二日、ビブラマイシンの胸腔内投与による胸膜癒着術を実施したこと、その結果、同日七日のクランプテストによっても肺の虚脱は認められなかったこと、そのため、同月九日には、胸腔ドレーンを抜去したことが認められ、右の治療経過に特に不合理な点を認めることはできない。

(二)  九月三〇日に再発した気胸の治療について

前記一13の認定事実及び<書証番号略>並びに証人平田啓一の証言によれば、九月三〇日、貞雄が胸痛及び息苦しさを訴えたため、胸部レントゲン検査を実施したところ、虚脱度一度の右側気胸の再発が認められたこと、これに対し、担当医師は、貞雄の右肺には、同月二日に実施した胸膜癒着術による癒着があるので、持続脱気術は不要と判断したこと、一〇月一日の胸部レントゲン検査の結果では、気胸の広がりが認められなかったこと、同月三日には胸痛も軽減したこと、同月五日の胸部レントゲン検査の結果ても、肺炎像及び気胸の状態は改善されていると判断できたことが認められ、以上の事実からすると、九月三〇日及び一〇月五日の時点で胸膜癒着術をすべきであったということはできない。

(三)  一〇月一九日に再発した気胸の治療について

前記一14の認定事実及び<書証番号略>並びに証人平田啓一の証言によれば、右気胸については、同日から実施した持続脱気術及び一〇月二七日、一一月四日に各実施した胸膜癒着術により改善されたということができるうえ、そもそも、本件眼科手術でさえ断念せざるを得なかった貞雄に対しては、原告らが主張するような全身麻酔を必要とするブレブ破壊術あるいは外科手術を選択する余地はほとんどなかったというべきである。そうすると、右気胸に対し、担当医師が胸腔鏡によるブレブ破壊術や外科的療法を検討すべく、外科医と相談しなかったとしても、過失があったということはできない。

(四) 以上によれば、争点1(四)(気胸治療における過失)についての原告らの主張はいずれも採用することができない。

5 争点1(五)(呼吸管理ミス)について

(一) 一二月一一日夕方の呼吸管理ミスについて

原告らは、まず、貞雄の両腕はベッドに抑制されており、貞雄自身が人工呼吸器付属の加湿器と患者側のチューブとの接続部を外すことは不可能であるから、一二月一一日の夕方に起きた右接続部の外れは、看護婦による同部分の接続が適切でなかったなどの過失によるものであると主張する。

しかしながら、同部分の接続が適切でなかったことを認めるに足りる証拠はない。かえって、前記一20の認定事実に加え、<書証番号略>及び証人加藤裕子の証言並びに弁論の全趣旨によれば、一二月一一日午前一時ころ、看護婦が貞雄の右手の抑制帯を除去していること、人工呼吸器の警報音に気づいて看護婦が病室に駆けつけた際、貞雄がチューブを握っていたことがそれぞれ認められ、これらの事実によると、右接続部の外れは、貞雄によって惹起されたものと推認するのが相当である(なお、<書証番号略>及び原告節子の本人尋問の結果中には、貞雄の右手は抑制されたままであったという記載及び供述があるが、同人の供述によれば、右接続部の外れという事態が起こった時点では、同人は病室にいなかったというのであるから、右認定を覆すに足りるものではない。)。

次に、原告らは、仮に、貞雄が自ら接続部を外したのであったとしても、看護婦が抑制帯を外したこと自体に過失があると主張する。

そこで、検討するに、前記一18の認定事実、<書証番号略>及び証人平田啓一の証言によれば、一二月一一日午前一時に看護婦が貞雄の右手の抑制帯を外したものであること、また、抑制帯をする理由は、人工呼吸器を接続されている患者は、気分的に朦朧としたり、落ち込んだりしやすく、意識混濁という状態が自然に起きて、暴れたりすることがあるため、このような状態となって、人工呼吸器などの管を外したりすることを最小限に食い止めるためになされるものであることが認められる。

しかしながら、乙第二号証には、同日午前一時以降の貞雄の意識状態を示すものとして、「“頭が痛いと言っている。”と息子さんより。患者に確かめるが、痛くないとうなずく。」(午前一時)、「右手の動き少ない。」(同二時)、「2回吸引しようとするとなかなか口を開けてくれない。」(同三時)、「右手をしきりに動かしている。“痛いところを教えて”といっても無視して胃チューブをなぞったりしている。」(同五時)、「苦痛の問いに対しあやふやな返事あり。」(同八時)、「“おはようございます”というとうなづく」(同九時)、「手をもぞもぞさせる。」(同一〇時)、「吸引の音がしただけで口を結び、絶対に口を開こうとしない。」(同一一時)、「気管内洗浄時は、顔を横に振りいやな顔をす。」(同日午後四時)、という記載があるのであって、少なくとも抑制帯を外した時点から同日夕方の人工呼吸器付属の加湿器と患者側のチューブの接続部が外れるという事態が起きるまでの間、貞雄は、前記のような意識混濁という状態には陥っていなかったことが認められる。

のみならず、右接続部が外れた後についても、同号証には、「苦しさのため手をバタバタさせている。呼名反応(+)」(同五時五〇分)、「呼吸30代にてまだ苦しいと訴える。」(同六時)、「呼吸苦まだのこると。」(同七時)という記載があり、貞雄が看護婦に対し、苦しさを訴えていたことが認められることからすると、右接続部が外れたことによって、貞雄が意識不明の重体に陥ったと認めることはできない)<書証番号略>には、同日午後七時には、既に貞雄の意識がなくなっていたという記載があるが、<書証番号略>の右記載に照らし、採用できない。)。

右事実によると、結果的には、看護婦が抑制帯を外したために、貞雄による右接続部の外れという事態を招来したのであるから、右は、看護婦の措置として適切さを欠いたところがあるものといわざるを得ないが、他方、抑制帯を外した時点では、貞雄は意識混濁という状態にまで陥っていなかったものであり、また、接続部が外れた後も、貞雄の意識状態には、大きな変化が認められなかったのであるから、看護婦が抑制帯を外したことについて、過失があったとすることはできない。

(二)  一二月一二日未明の呼吸管理ミスについて

原告らは、看護婦が一二月一二日午前零時に貞雄の体交を行った際、経鼻挿管されていてた人工呼吸器のチューブが抜管し、右抜管状態が同日午前三時までの約三時間にわたって継続し、貞雄は重篤な呼吸不全に陥ったと主張し、<書証番号略>及び原告節子の本人尋問の結果には、貞雄の鼻から出ているチューブの出具合が長く、人工呼吸器の管が少し抜けているように見えたので、原告節子が看護婦に「少し抜けているのではないですか。」と言ったがとりあってもらえず、後に看護婦から「やはり奥さんに言われた時から、管は既に抜けていたようです。ごめんなさい。」と言われたという記載及び供述がある。

しかしながら、前示のとおり、人工呼吸器は、接続されているチューブが抜管し、内部の空気圧が低下した場合には、直ちに警報音が鳴るという仕組になっているところ、原告節子の本人尋問の結果においても、同人が看護婦に抜けているのではないかといった時点では、人工呼吸器の空気内圧の低下を示す警報音は鳴っていなかったことが認められ、また、その他に前示のとおりチューブが約五センチメートル程引っ張られたことを超えて、同日午前零時から同三時までの間に貞雄に接続されていた人工呼吸器のチューブが抜管していたことないしその空気圧が低下したことを認めるに足りる証拠はない。

また、原告らは、看護婦には、貞雄の気道内に血性痰による血塊が形成される危険を予見し、速やかに十分な吸引を行うなどして、貞雄の気道が閉塞する事態の発生を回避すべき義務があると主張し、<書証番号略>によれば、一二月一一日午後一一時に吸引しながら、同月一二日午前一時に行った吸引では血性痰が多かったことが認められる。

しかしながら、前記一16、19の認定事実及び<書証番号略>並びに証人平田啓一の証言によれば、一一月中旬以降、貞雄に肝機能の低下による出血傾向(皮下出血、消化管出血、気道出血)が認められるようになったこと、一二月五日ころからは、気管内洗浄を行うと、古い出血を思わせる凝血塊が中等量吸引されるなど、気管内出血がひどかったので、気管内吸引及び気管洗浄を頻繁に行ったこと、同月七日ころからは、血小板数の急激な減少とともに出血傾向がさらに増悪したこと、同月一二日午前三時に人工呼吸器の警報音が鳴るまでは、特に、人工呼吸器内の空気内圧に異常はなく、貞雄の呼吸状態に変化は見られないこと、抜管したチューブの先には、古い凝血塊が付着し、狭窄を生じていたことがそれぞれ認められる。これらの事実によれば、チューブの狭窄をもたらした凝血塊は、出血傾向の増悪とともに徐々に形成されたものと考えられるものの、さらに進んで、右凝血塊が、いつ発生し、気道内のどの部分で形成されたのか、同日午前一時まで行った吸引によってもこれを除去することができなかったにもかかわらず、どのようなきっかけで、どのような経路を辿って右チューブに付着するに至ったのかについてはいずれも不明であるし、そのほか、右時点までの看護婦による吸引の仕方に特段の問題があったというような事情も窺われないのであるから、同日午前一時まで行った吸引によっても、右凝血塊が容易に除去できるような状態にあったと考えることはできないといわざるを得ない。そうすると、同日午前一時から同三時に人工呼吸器の警報音が鳴りだすまでの間に、右凝血塊による狭窄を予見すべきであったということもできないし、また、仮に、右の間に看護婦が吸引を行っていたとしても、右事態を回避することができたはずであるということもできない。そして、看護婦は、右警報音が鳴った後、直ちにできる範囲での処置を施したうえ、当直医を呼ぶなどしているのであるから、右看護婦に原告ら主張の過失があったということはできない。

(三) 以上によれば、争点1(五)(呼吸管理ミス)についての原告らの主張はいずれも採用することができない。

6 以上によると、被告病院の担当医師ないし看護婦には、債務不履行又は不法行為の責任原因となるべき過失がなく、その余の争点(貞雄の死亡と右各過失との間の因果関係)について判断するまでもなく、被告に債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償責任を認めることはできない。

三  次に、争点2(期待権侵害による債務不履行の成否)について判断する。

<書証番号略>及び証人平田啓一の証言、原告節子の本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、看護婦の貞雄に対する看護上の措置(前記二2、5(一))には適切であったとはいえない部分もあり、また、担当医師が貞雄自身や原告ら家族に対してなした貞雄の病状やその経過及び同人に対する診療上の処置などについての説明には、必ずしも十分でなかった部分もあったのではないかという疑問があり、そのために、貞雄及び原告ら家族が担当医師らに対する不信感を持ったのではないかと推認されるところであって、そのこと自体は理解し得るところがあるものというべきである。

しかしながら、前示のとおり、本件において、被告病院の担当医師及び看護婦の診療ないし看護上の措置について、法律上の過失があったとまでいうことができない以上、いわゆる期待権侵害に基づく債務不履行責任が生じる余地はないものといわざるを得ない。

第四  結論

以上によれば、その余の争点について検討するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がないから、すべて棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官滿田明彦 裁判官沼田寛 裁判官野口宣大)

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